道徳教育の一環として兵庫県では、災害に対する教育に特に力が入っている。
この一年どこに行っても募金箱を持つPTAの方々の姿や、児童会の姿が目につきました。
たしかに募金は必要・・
でも・・1年たって・・
協力の形はだいぶ変わりましたよね・・
今の問題はやはり放射能汚染されたがれきの処理・・
いまだ3県の住民の理解しかえられず、進まない撤去・・
募金すればそれは復興にやくだっているのかしら・・??
できることが募金だから・・そこだけ協力したい・・それもいいと思います。
現にいま日本に住んでいて今回の震災の募金をされてない方っていないんじゃないかな??
それぐらい募金活動は盛んです。
でも・・お金で解決でききる問題ばかりでは
ないですよね・・
いざ自分の住んでると町に放射線物質が混じったがれきが運ばれて来たら・・
手放しで「協力します」といえるでしょうか?
福島近辺のお野菜が、スーパーで山のように積まれていても・・
値段が安くても・・購入しないのは協力してることになるんでしょうか?
そういうのを受け入れることがほんとうの、協力ではないのかな・・
「それは嫌だけど、それができないから募金はしよう・・」
それでは・・
いくらお金があっても、がれきだらけの故郷には、家をたてるおかねがあったとしても、建てられない・・
それに・・福島の方が一時的にうつられた地域では、差別があるのが現状・・
助けようと手を差し伸べるのも同じ日本人・・
一方で差別化するのも同じ日本人
被災された方の中でも、放射線に対する認識や、受け止め方の違いがありそのことで地域の方々の1つだった気持ちが、分断されてしまっているのも現実・・
311を迎えて・・多くの矛盾に気づかされている今日この頃・・
本当の絆って・・なんだろう・・
本当の協力とはなんだろう・・
それでもじっとしていられない・・何かしたいと思うのはなぜだろう・・
愛する人を・・財産を・想い出を・・住む家を・・一瞬で・・自分の目の前で奪われてしまう気持ち・・
どれほどのものか計り知れません・・
その人たちの姿に私たちは
ただ寄り添うことしかできません・・
心はお金では癒されません・・
ただ・・生きる一歩を踏み出すきっかけにはなるでしょう・・
そこから・・また前を向いてあるいていってもらいたい・・
どんなことがあっても人は生きていかなければならないのだから・・
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